書いたあとに響く音は

初夏から昨日まで、原稿に汗を流す日々でした。

とてもありがたいことながら、原稿制作にはやはりいつもながら苦しみます。

発売順に記すと、

  • 「図書新聞」書評マーガレット・アトウッドの実質的第一詩集『サークル・ゲーム』(彩流社、2020)。
  • 「ユリイカ」10月号、詩篇「浸みゆく光、藍色に染まる鳥の夢」。

自由に書かせていただけました。長編がかけてうれしいかったです。

  • 「文學界」2020.11月号、巻頭詩篇「オブスキュア・オブスクラ」

写真家城田圭介さんとのコラボレーションです。

  • 「三田文學」秋季号 No.143号、小文「まなざしのゆくえ」(「特集:岡田隆彦」)。

絢爛なかたがたのなかに名を連ねるなか、いまだにこれでよかったのか、引っかかっています。

  • (近々書評の掲載がある予定です。)

こうしてお声がけいただけることはありがたいという気持ち以外にありません。

いつも以降わたしの名などだれからも顧みられないかもしれない、と思いながらあたっています。

夏のあいだ、誇張ではなく唸りながら資料にあたり苦しみつつ書き上げましたが、このようなし期日ある機会はフィードバックとなってわたしにとっていつでも大きな糧となります。そしてさまざまな視点をあらためて感じます。

アトウッドの分裂した自己について、岡田隆彦の多重性、そして城田さんのお仕事とステートメント。

どれも自分の関心を読み込んでいるから当然ですが、あらためて詩篇について、自分の視座について浮き彫りになる。大きな可視化なのですよね。

評文にを読み直すと、カチカチだなあ、とか、生意気だなあ、とか、この理論家を引く必要がほんとうにあった? とか、この飛躍! とか、ひとしきりツッコミを入れてもなお、やっぱり書けたことをうれしいと思うのです。

そして詩篇にも通じますが、まとめてじっくり読むこと、詳細まで考えることができて、僭越なことを言えばわたし自身がやりたいことを書くことを通して言語化するような感覚なのです。

名を忘れられ声がかからなくなっても発表できるように、早く個人紙を用意したいところです。

徒然なるままの投稿でした。

どうぞ、よしなに。

奥間埜乃

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